これまでの歩みと振り返り

プロフィールの中に書いてしまうと長くなるので、私のこれまでの歩みとその振り返りについては、こちらのページでお話ししていきたいと思います。

ぽけご
ぽけご
興味を持っていただきありがとうございます。

これまでの歩み

学生時代~20代

中学から大学までエスカレーター式の私立校に中学受験で入り、スレスレの成績で大学生に上がった頃には、遊ぶことしか頭にないダメ人間に仕上がっていました。

結局は大学を中退してしまい、しばらくはバイト生活に明け暮れるもそのうちニート生活へ。

どうしようもない状態にまで落ちてしまいました。

その後、家族の病気でどうしても働かざるをえない状況になり、親のコネで何とか社会人の仲間入りを果たすこととなります。

しかし大学を中退してレールから外れてしまった怠け者に、同級生だった者たちと同じような安定の道はなく、正社員にすらなれない状況にひたすらもがき続けた20代でした。

30代~退職まで

30代に入って間もない頃に、前職のITベンチャー会社にようやく正社員として入社することができました。

当時は20人に満たない規模の小さな会社でしたが、ネット市場の成長と相まって急速に業績を伸ばし成長を遂げることになります。

会社の業績は伸びる一方で人材不足が常態化し、業務過多で人が定着しないという悪循環が続きました。

そんな中で私は何かにとりつかれたように働き続け、営業・企画・業務管理・システム系など何でもお構いなし、役職も2つ3つ兼任は当たり前の状態で仕事に没頭しました。

当然ながら仕事が全く追いつかないので、始発電車で毎朝出社し帰りは終電かもしくは泊まることもしばしば、さらに土日も出社して仕事をこなすといった感じで、月200時間残業レベルで何年も働くこととなりました。

そんな状態でしたが、世間でよくニュースになるような悲壮感はなく、疲労感はもちろんありましたが精神的にはむしろ充実感すらあるくらいでした。

気が付けば会社は100人規模を超えるまで成長し、経営幹部として部下を30人ほど従えて、それなりの収入をもらえる立場になっていました。

しかし会社が成長すればするほど、いろんな決まりごとが増えていき、分単位の残業管理や何をするにも承認・ワークフローといった手続きが必要になっていきます。

昔は終業後の深夜にもかかわらず飲みに出て、会社の未来についてあれこれ語り合った幹部同士ですらも、幹部会議でお互いに難しい顔をしながら、腹の探り合いで話すことしかできなくなっていました。

優秀なスペシャリストが中途採用で続々と入社してきて、お互いを関知しない職務の縦割り化が急速に進みます。

今思うと、このような中で私は今後どのように立ち回っていくべきか、自分を見失っていたのかもしれません。

私は事実上の降格を言い渡され、優秀なスペシャリストの後輩の下で、その人の流儀で仕事のやり方を変革するよう、強要されることになりました。

パワハラ色も非常に強い人だったため、私は精神的に耐えることができず、休職などを経て結局は退職することになったのです。

振り返っていま思うこと

いま思い返してみても、私がサラリーマン人生を続けるとすれば、どこでどうしておくべきだったのか正直よくわかりません。

サラリーマンとは突き詰めると、そういうものなのかもしれないとも思いますし、器以上のことをしてしまったからなのかもしれません。

分かっている唯一のことは、同じような働き方はもうできないということです。

レールから脱落してしまい、必死にもがいて戻ったレールを歩いてみた結論は、「やはりレールの上は歩けない」というものでした。

ただ、仕事を辞めてみて改めて気付いた大切なことがあります。それは私には妻という唯一無二の存在がいるということでした。

仕事が忙しくていつもピリピリいら立っていた時でも、うつ症状が出て寝てるばっかりだった時でも、彼女はいつもフラットであり、常に私を応援して見守ってくれる存在でした。

私たち夫婦にとって一番大切なことは、一緒に楽しい暮らしを続けていくことです。仕事が何であるかとか、収入が多いか少ないかとかは関係がないことに気づきました。

もちろん生きていくうえで最低限のお金は必要ですが、それは別に会社勤めじゃなくても確保できます。

夫婦で支え合っていけば、何とでもなると思うのです。

私は私らしく、妻は妻らしく、もっと気ままに生きてみた方が二人で楽しい暮らしができるのではないか?

こんな思いをもってこのブログを立ち上げました。

このブログを通じて、これからの私たちの「自分らしく気ままな生き方」を発信していければと思っています。

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