こんにちは、気ままに生きてるぽけごです
昨年の夏に仕事を辞めてから、気ままに生きる暮らしも半年以上が経ちました。
妻と一緒にいる時間がいちばん増えたのですが、近くに住む両親の家へ行ってふれあう機会もかなり多くなった気がしています。
結婚してアメリカに住んでいる妹と姪っ子も、先日から日本へ遊びに来ているので、久しくなかった家族団らんを味わうことができています。
姪っ子と楽しそうにしてるよね
そんなときにふと思ってしまったのです。
自分にとって、家族の存在ってどういうものなんだろう?って。
妻との二人暮らしで感じている、「家族」という定義とは違っている気がしますし、なにかもっと自然体な感じがするんですよね…
そこで今回は、
家族の存在って自分にとって何なのか?
ということについて、お話しをしていきたいと思います。
サラリーマン時代に思っていたこと
今考えると会社員として働いていた頃は、家族に対して前向きな気持ちが持てていませんでした。
年齢的なこともあって両親は体が弱くなってきましたし、もちろん心配する気持ちはありましたが、
自分は息子なんだから、しっかり面倒を見なければいけない…
こういった義務感のようなものが根底にあった気がします。
何よりも仕事が忙しかったからなのですが、心の片隅にいら立ち・焦りといった感情を常に持っていたのです。
両親はもちろんそれに気づいていたので、私に対していつも申し訳なさそうにしていました。
私のいら立ちはやがてアメリカに住む妹へ向き、自分だけに厄介ごとを押し付けて、好き勝手してると彼女を責めるようになりました。
このようなことを本人にも何度も言っていたので、やがて疎遠になって絶縁状態になってしまいます。
私が妹への不満を口にすると、母はいつも悲しそうな顔をしていました。
当然ですよね…
仕送りをするしないとかは、両親と妹が話し合うことであり、私が口を出すようなことではありません。
そんなことすらも、よくわからなくなっていました。
気ままな暮らしの中でいま思うこと
会社員を辞めて心のゆとりを取り戻したこともあり、「自分らしく気ままに生きる」と意識するようになって、家族に対する考え方も変わってきたように思います。
そもそも家族とは何なのか?
そもそも家族って何なのか?という話なのですが、
「かけがえのない存在」
というフレーズが当てはまると思っています。
「かけがえのない」という言葉には、2つの意味があって、
- 無くなったら他に代えるものがない
- この上なく大切な
家族に対する「かけがえのない」という意味合いは、私は1番目が当てはまると感じています。
もちろん大切な存在ではあるのですが、それ以上に、
「他に代えるものがない唯一の存在」
両親や兄弟というのは、このような存在だと思うのです。
かけがえのない存在だからこそ、今を大切にしたい
私もそうでしたが、
仕事が忙しくて家族と疎遠になっている…
多くの人がこのような現実を抱えていると思います。
はたして、会社と会社員の関係が「かけがえのないもの」になることがあるのでしょうか?
仕事が忙しいという理由で、「かけがえのない」家族と疎遠になってしまうのは、なんともうらはらな感じですよね…
かけがえのない家族との関係だって、永遠に続くものではありません。
いつか終わりが来てしまうのです。
だからこそ私は、かけがえのない家族との「今」を大切にしていきたいと思います。
まとめ
今回のまとめです。
- 他に代えるものがない唯一の存在
- かけがえのない存在だからこそ、今を大切にする
今回のようにじっくり時間を取って考えることで、家族が「かけがえのない存在」であることに気付くことができました。
「自分らしく気ままに生きる」ための要素を、以前じっくり考えたときに、
「自分らしさ」の価値観を明確にし探求心を持つ
こちらを要素の一つとしてあげましたが、家族に対する今回の気付きも、まさに自分らしさの価値観を探求した結果だといえるでしょう。
自分の価値観をもっともっと明確にして、それに忠実に生きていこうと思います。
家族との時間を大事にしよう
▼こちらも合わせてどうぞ▼